日本型ダーチャと生活安全保障

二拠点生活の場を確保して庭で飲用水、電気、食糧、燃料、かまどを、場合によっては耐空爆塹壕(anti-air raid trench)を作ります。

安全保障 ①

このところ安全保障という言葉、文字を耳、目にしない日はありません。

かっては 「アンポ」「アンポ反対」ばかりだったのに。

それを耳で覚えた安倍元総理が幼児期,岸総理の前でアンポ反対と唱えていたのは有名なエピソードです。

安全保障を学問する、研究するなどもってのほか、大学アカデミズムに反するというのが世の主流でした。「安全保障」を唱える後ろには軍靴の音が引き続く、と言ったムードでした。

 こういったこともあり、軍事面にも及ぶ安全保障に関してまともに研究する人は少なく自衛隊OBなど極めて限られていました。

今回のウクライナ侵攻に直面して、あれほどTVのワイドショウ、情報番組で隆盛を極めていたお笑い芸人では全く太刀打ちできないことが判明しました。芸人でないコメンテーターも、たとえば弁護士、新聞テレビの記者、NHK日曜政治討論に出ている大学政治学学者も然りです。

 コロナ騒ぎの時は全国に余りある医師、研究者が専門家と称して朝から晩まで出まくり、ひんしゅくを買っていましたが、軍事侵攻に関してはまともに論及できる研究者絶対数が少なく、出てくる教授、研究者が限られても誰も異論をはさむ余地がないのが実際です。

 有力大学で正規科目として具体的方法論を含んでの安全保障論を設けているところは圧倒的に少ないようですし、防災シェルターを準備している自治体も限りなくゼロでしょう。紙の平和憲法一本やりではなく平和憲法を実質化する研究や施設の充実を期待したいところです。

 

 そもそも安全保障とは何かと言えば獲得した価値の維持,尊重にあると考えられます。獲得した価値の内容は西側、東側、その他で同じではないのは当然で、安全保障はこの点では無色中立なものです。

したがって安全保障を考えること自体を避けてきたあるいは危険視してきた従前の通説的日本的思考はどうみてもおかしいと言わざるをえません。

価値の中身として何を充当するかは次のステップです。私は個人の尊厳に究極の価値を置く民主主義原理にのっとったうえでの以下の立論に賛同します。

 

(日本の新たな『国家安全保障戦略』策定に資することを目的として、東京大学先端科学技術研究センター内に設置された創発戦略研究オープンラボ(ROLES)がまとめた提言からの引用)

「  また、認知領域の安全保障政策は、その拠って立つ根本的な価値を明確にする必要がある。安全保障とは「獲得した価値に対する脅威の不在」であると定義されるが、では日本が守るべき「獲得した価値」とは何か。言い換えると、我々が安全保障政策を行う意味とは何であるか。『国家安全保障戦略』はこの点を国民に問い、合意を得られるような根本的原理を提示するものでなければならない。提言3では、これを人権、法の支配、自由、民主主義の四つと位置付け、これらの価値観を維持・発展させるために必要な施策を提案した。」