「幸田 文全集」月報のこと
文学趣味が希薄な小生が何で幸田文(あや)の作品を読んだのかというとたまたま目にした作品「終焉」の一節に「素掘りの壕」「爆風」など空襲に関連する字句・事柄がかなり重きをなして書かれていたからである。
そして氏の文章を初めて読んで思った。
100年後、もしかして残るのは露伴より文さんかもと。
平安女流文学に連なるような平易な文章で、男性のような気どり・かっこつけがないのが読者に響く。
図書館開架だなを見ると、露伴の全集の長さが1.5mくらいだとすると文の全集も1mくらいの長さである。こういったものが残されているというのは、かなりの裏付け的読者層を抱えているということだと思う。
で、岩波の全集を手にしてみた。1巻は1994年12月発行となっている。
多くの人が同じ思いを持つと思うが全集についている「月報」という付録のような薄い冊子が面白い。書くのは大体名前で人を呼べるような人が多い。
1巻についている月報1の著者がまたまた興味深い人ばかり。斎藤茂太、高橋英夫、池内 紀の3人。
茂吉が文学の世界で「先生」とお呼びしたのは子規、伊藤佐千夫、鴎外、幸田露伴くらいとある。
・文芸評論家の高橋英夫は文学者、芸術家の家庭で父から娘へと才能が受け継がれる実例が多くみられるとして鴎外と森茉莉・小堀杏奴、上田万年と円地文子、朝倉文夫と朝倉摂・響子を挙げている。
(朝倉については私的にも感想がある。大学図書館には文夫が作った創立者の大きな像が閲覧室片隅に立っていたし、知人の小説の挿絵を摂さんが描いている。
朝倉摂なんてよっぽどの人でないと知らないと思っていたが、NHKテレビ日曜美術館で1時間かけて「舞台美術家・朝倉摂:封印されていた日本画 よみがえるた青春の日々」というのをやっていたから知る人ぞ知るの人なんだろう。)
2022.10.16再放送
・池内 紀さん(ドイツ文学者)が月報で書かれている内容は幸田露伴や文さんにとってあるいは全集にとって意味を感じられないレベル。
今、ときめいているロシア軍事研究者小泉 悠さんを東大先端研に招いた池内恵(さとし)教授の父親という点では本ブログにかろうじてつながる。